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受験で使える!風刺画『日露戦争』を基に歴史を徹底解説!

風刺画受験日露戦争ポーツマス条約日英同盟

2021/12/27

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風刺画「日露戦争」が表す意味とは?

絵の解説

作者:ジョルジュ・ビゴー

こちらの風刺画はロシアに刀を突きつける日本と、その背中を押すイギリス、そして高みの見物をするかのようなアメリカが描かれています。
日本の必死そうな顔とは対照的にロシアはたばこを吸って余裕そうですよね。

なぜ日本がこのような状況に置かれたかというと、この2つの大国は外交的な面だけでなく経済的な面でも日本を支えていたので、どうしても反抗するということはできませんでしたし、仲良くしておきたかったのです。
ですから英米は日本の後ろについている形になっているのですね。

そして事態は日露戦争へ。その様子を風刺したのですね。

日露戦争とは?

日露戦争の発端

日露戦争は1904年に日本とロシアの間で起こった事件です。

1899年に中国(当時は清)で起きた義和団事件が原因でした。

義和団事件とは
義和団事件は義和団という組織が「扶清滅洋」(清にある伝統文化を興して、西洋から入ってきた風潮を消し去ろう)というスローガンを掲げて外国勢力を滅ぼそうとしたのに中国政府も乗っかって列強に宣戦布告しました。ちなみにこの時の政権は西太后でした。

この中国の動きに多く軍隊を送り込んだのがロシアと日本でした。
1900年に義和団事件は鎮圧されましたが、ここで各国の思惑が動き出します。

■ロシア→南下政策を実施、凍らない港が欲しい!満州に軍隊をとどめる。

■日本→満州と隣り合う韓国が欲しい!

■イギリス→清で利権確保したい!あ、日本の軍事力借りちゃえ!

これら3国の思いにより、日本はイギリスと同盟を組み、日露戦争へ発展するのでした。

日露戦争に関わった国々

戦ったのは日本とロシアですが、戦場は中国でした。
条約を結ぶため両国を取り持ったのはアメリカで、ロシアのバルチック艦隊を破ったのはイギリスの海軍のやり方でした。
イギリスの戦術は東郷平八郎が留学で学んできたものだったそうです。

日露戦争によって各国が得たものは?

ポーツマス条約とは?

日本とロシア間で結ばれた日露戦争の条約です。
日本は小村寿太郎が、ロシアはウィッテが首席全権でした。
しかしこれをとりもったのはアメリカのセオドア=ローズヴェルト大統領でありました。
条約の名前はアメリカのポーツマスで結ばれたことでこの名前になりました。

日本は何をもらったの?

日本は以下のものをもらいました。

・日本の韓国に対する保護権を認める。
・日本に遼東半島南部の租借権を譲渡する。
・日本の南満州の鉄道の利権を認める。
・南樺太(北緯50度以南の樺太=サハリン)を日本に割譲する。
・沿海州・カムチャッカ半島沿岸の漁業権を日本に譲渡する。

しかし日本国民は大激怒しました。こんなにもらってもなにかが足りません。
それはお金です。賠償金が払われなきゃ命を捨てるつもりで戦っても国民からしたらなんの意味もない!と暴動を起こし、それが日比谷焼き討ち事件でした。

風刺画から歴史を知ろう!

今回は風刺画「日露戦争」から、もっと日露戦争のことを深く掘ってみました。
基本知識+αで少し書いているのできっと受験のお役に立てるはずです!
是非参考にしてみてください!

この記事を書いた人

なる

群馬県出身の「なる」です。 主に、エンタメ・ビューティ・スポーツの記事を書いています。 洋画とバスケが大好きです。 日常に役立つ記事をお届けします!

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