引用元:論座-朝日新聞デジタル
今回は戦後の日本復興を支えた白洲次郎が残した名言を見ていきましょう。
どんなことがあっても自分の信念を曲げず、周囲に対して常にフラットな考え方を貫いたその生き様が滲み出た言葉をご紹介します!
目次[ 表示 ]
白洲次郎ってどんな人?
白洲次郎について
- 名前
- 白洲次郎
- 生年月日
- 1902年2月17日
- 死没年月日
- 1985年11月28日
- 出身地
- 兵庫県芦屋市
- 没地
- 東京都港区赤坂
- 職業
- 貿易庁長官、実業家
白洲次郎は何をした人?
引用元:論座-朝日新聞デジタル
白洲次郎は戦後日本の復興を影で支えた重要人物です。
第二次世界大戦後、連合国軍占領下の日本において吉田茂の側近として活躍しました。
ケンブリッジ大学への留学経験もある白洲は、英語が堪能であり、その能力は帰国後も重宝されました。
その代表例として、GHQとの交渉が挙げられます。
憲法改正の場面では、GHQの改正案と日本の国務大臣の改正案との乖離を指摘し再考させるなど、その英語力とGHQに真っ向から立ち向かう強い姿勢で、白洲にしかできない活躍を見せます。
主張すべきところは頑強に主張する姿勢を貫き、GHQ側に「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめました。
その後政治家を引退した白洲は、実業家として活躍します。
1951年には東北電力の会長となり、ダムの建設を行うなど電力の安定供給のために尽力しました。
東北電力退任後も大洋漁業(現マルハニチロ)、日本テレビなど数多くの企業で役員や顧問を歴任します。
このように、白洲は政治家としても実業家としても戦後の日本の復興という共通した目標に向かって尽力した人物だということが分かります。
白洲次郎が関わった出来事一覧
白洲次郎の有名な名言5選!
引用元:論座-朝日新聞デジタル
名言①:我々は奴隷になったのではない。
名言を解説
第二次世界大戦後、GHQを相手にした終戦に際する交渉において放った言葉です
白洲にとって敗戦は事実に過ぎず、国家の尊厳や日本人としての矜持が失われたわけではないという強い思いが滲み出ています。
イギリス英語で放ったこの言葉を受け、GHQは「従順ならざる唯一の日本人」と白洲を評価しました。
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欧米において人種差別がまだ色濃く残っていた時代に、真っ向から立ち向かった白洲。この姿勢がなければ日本はもっと下に見られていたかもしれません。
名言②:人に好かれようと思って仕事をするな。
名言を解説
実業家として東北電力会長を務めていたとき、ダム建設を請け負っていた前田建設工業社長・前田又兵衛へのアドバイスとしてこの言葉を送っています。
仕事の本来の目的を捉え、人間関係など目的からズレた事柄には惑わされない姿勢が多くの功績の原動力となりました。
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人の目を気にしてばかりいては良い仕事ができないという、白洲の仕事に対する考え方が表れています。
名言③:プリンシプルがあれば、人生に迷うことは無い。
名言を解説
自分を貫く強い一本の柱のようなものを「プリンシプル」と表現しています。
人生のあらゆる場面で迷わない秘訣として、白洲が大切にしていた考え方が表れています。
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プリンシプルは白洲の代名詞とも言える言葉です。芯の通った強い生き様が感じ取れます!
名言④:今の日本の若い人に、一番足りないのは勇気だ。
名言を解説
仕事だけでなく生活のあらゆる場面に応用できる考え方です。
出る杭は打たれるという風習を嫌っていた白洲が考える日本の教育や仕事への課題が表されています。
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現代の若い人に向けたメッセージとも受け取れます。損得勘定ばかり考える知性を養うのではなく、勇気ある行動に踏み出す大胆さも重要なのですね…!
名言⑤:天皇陛下からの贈り物をその辺に置けとは何事か!
名言を解説
昭和天皇が、GHQ最高司令官・マッカーサーにクリスマスプレゼントを贈った際、
「その辺にでも置いておいてくれ」
と言い放ったマッカーサーに向かって放った言葉です。
相手がマッカーサーであっても間違ったことを看過できない正義感の強さや毅然とした態度が伝わります。
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相手がどんな立場であろうと、自分の信念を貫くのはカッコいいですね…!
白洲次郎の名言から元気をもらおう!
いかがでしたか?
迷わない、自分の意思を曲げない、相手が誰であろうとひるまないといった白洲の生き様の通り、直接的で躊躇のない言葉が多くありますね!
仕事や何かの場面で思い悩んだとき、毅然とした白洲の言葉にはきっと何か刺さるものがあるでしょう!