引用元:Japaaan
皆さんは細川忠興を知っていますか?
その時代の有力者たちにつかえた優秀な武将として、そして文化人としても有名です。今回はそんな細川忠興の名言を5つご紹介します!
戦国武将好きな方にはたまらないかも!?
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細川忠興ってどんな人?
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細川忠興について
- 名前
- 細川忠興(ほそかわただおき)
- 生年月日
- 1563年11月28日
- 死没年月日
- 1646年1月18日
- 出身地
- 京(現在の京都市)
- 職業
- 武将、大名
細川忠興は何をした人?
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細川忠興は戦国時代から江戸時代前期にかけて活躍した武将・大名です。
彼は足利義昭、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康とその時代の名だたる有力者たちにつかえました。
更に、武士として優秀だっただけでなく、父の幽斎と同じく文化人としての一面もあり、細川三斎として、利休七哲(千利休の高弟とされる7人の武将の総省)の一人でもあります。
妻は明智光秀の娘「細川ガラシャ(細川玉)」で、かなりの愛妻家であったと言われています!
明智光秀が謀反を起こし、信長を殺害した本能寺の変では、光秀の娘が正室にも関わらず、光秀側につきませんでした。
秀吉政権下では、小牧・長久手の戦い(1584年)に参加し、翌年の1585年には従四位下・侍従に叙任、七将に数えられました。
しかし、関ヶ原の戦いでは、徳川家康側にいち早くつき、石田光成の本隊と戦い、打ち取った首の数は136とも言われています!
細川忠興からは次の世の未来を握るのは誰なのかというのを見極める力が素晴らしく、その判断力と立ち回りの良さが伺えますね!
細川忠興が関わった有名な出来事一覧
細川忠興の有名な名言5選!
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名言①:家中の者どもは将棋の駒と思え
名言を解説
忠興が跡継ぎの忠利にいった言葉です。
将棋の駒にはそれぞれの働きがあるが、人間も同様だという事を表現しています。
「1つの役目では不調法なことも他のことでは役にたつことがあるかもしれない。全て一人でできる者はいないのだから、主君になるならそれを良く心得るように」という意味が込められています!
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信長、秀吉、家康などにつかえ、晩年には九州屈指の大大名にまで上り詰めた忠興らしい名言ですね!
名言②:一番大事にしなければいけないのは歩だ
名言を解説
「将棋の駒と思え」という名言の最後を締めくくる言葉です。
特別の能力をもたない者などを将棋の駒の「歩兵」にたとえています。
「歩兵のような者が少し欠けても変わりはいくらでもいるからこそ、組織のトップがそのようなそぶりをみせたら飛車や角行に相当する者や金将、王将に当たるような優れたものにも見限られてしまう」という意味が込められています!
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組織のトップこそ人を大切にしなければいけないと再認識させられる言葉ですね!
名言③:齢八十にして、親父の云うことようやく心得たり
名言を解説
歌人として有名だった父親から歌を学べと言われ、若いころは所詮自分が歌を習っても歌人である父の名を落とすだけだと言った忠興。
しかし、忠興が歌を習ったからといって自分の歌人としての名を落とすことはないと言い、忠興に歌の勉強をさせます。
後に忠興は千利休に気に入られ「利休七哲」の一人に数えられ、自分も文化人と呼ばれるなど、父と同じ立場になり、かつていわれた事を実践していた自分に気づいた時の一言なのではないでしょうか!
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やはり親のいう事は正しいという言葉はいつの時代も共通していることが分かりますね!
名言④:天下の政治は
名言を解説
徳川家2代目将軍秀忠に天下の政治をどのようにすべきか聞かれた時に言った一言です。
「四角いものに四角い蓋をしては息苦しくさせてしまうだけだから、四角い箱に丸い蓋をすれば、四隅が空く。それが一番上に立つ者のゆとりというものだ」という意味が込められています!
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人には少しの余裕とゆとりが大切だということがとてもよくわかる名言ですね!
名言⑤:戦場が恋しきぞ
名言を解説
忠興が最後に言った言葉とされています。
「皆どもが忠義をみせた戦場を恋しいと思う。皆稀有な尊い者たちであった。」という意味です。
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激動の戦国時代を生き抜いた忠興らしい言葉ですね!
細川忠興の名言から元気をもらおう!
いかがでしたか?
戦乱の世を生き抜いた細川忠興の名言にはトップに立つものとしての考え方やあり方について教えてくれる言葉が多いです。
是非皆さんも人生に挫折した際や苦しい状況に追い込まれた時には偉人の名言に励まされてみてください!