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受験で使える!風刺画『魚釣り遊び』を基に歴史を徹底解説!

風刺画魚釣り遊び日清戦争南下政策ニコライ2世下関条約

2022/01/05

今回は風刺画「魚釣り遊び」を基に歴史を解説していきます。
この絵は日清戦争前の様子を描いていますが、日清戦争だけでなく、当時の世界の情勢やつながりも読み解いていくことができる面白い風刺画です。ぜひご覧ください!

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風刺画「魚釣り遊び」が表す意味とは?

絵の解説

作者:ジョルジュ・ビゴー

この絵は一見ただの静かな魚釣りの絵に見えますが、日清戦争(1894(明治27)から1895(明治28年))の直前の風刺画です。左のちょんまげが日本、右の帽子が清国で2国が魚で表されている朝鮮(COREE)の釣ろうと争っているのです。奥でその様子をジーっと見つめているのがロシア(RUSSIE)です。ロシアは南下政策で朝鮮への侵略も狙っていたため、どちらが朝鮮を取るのか、そして朝鮮を取ったほうにはもれなくロシアとの戦争が待ち受けていたのです。それが日露戦争というわけです。

日清戦争って何が起きたの?

日清戦争の発端

日清戦争の発端は1894年に起きた甲午農民戦争です。これは朝鮮で王朝政治に不満を持った農民たちが引き起こしたものなのですが、それからなぜ日清戦争へといったかというと、それは東アジアの情勢に原因があります。当時ロシアは巨大な軍事力を武器に東アジアに勢力を広げようとしており、日本はそれが自国に及ばぬように朝鮮半島への進出を考えていました。一方の清は朝鮮は自分たちの属国であると考えており、朝鮮の混乱に乗じて両国の領土争いが巻き起こりました。

日清戦争の賠償

日清戦争の条約は「下関条約」です。
山口県の下関で結ばれたことでこの名前になりました。
日清戦争で結ばれたことは以下の通りです。

・清国は朝鮮の独立を認めること
・清国は遼東半島、台湾、澎湖諸島を日本に譲り渡すこと
・清国は賠償金2億両を日本に支払うこと

受験でマストなのは2つめの日本の遼東半島と台湾の獲得です。
マークシート方式の場合は朝鮮の独立も頻出問題です。

南下政策ってなに?

ロシアが行っていた南下政策とは?

ロシアは「ギリシア正教徒の保護」と「パン=スラヴ主義」を掲げて領土拡大の動きを見せました。主な南下政策の舞台は「バルカン半島」「中央アジア」「極東」の3方向でした。
1696年のピョートル1世の時代から始まった政策でエカチェリーナ2世やニコライ1世、アレクサンドル2世、ニコライ2世など歴代皇帝に引き継がれていき、オスマン=トルコ戦争やクリミア戦争など数々の戦争を起こしてきましたが、1877年のベルリン会議で南下政策は一時阻止されました。その理由はロシアは高緯度に位置するため、多くの港湾が冬季には凍ってしまうという弱点がありました。ですが人口や資源において圧倒的な大国ロシアが不凍港を手に入れて海洋進出をされるのはヨーロッパ列強からしたら大きな脅威であったためです。
話を戻し、ロシアは極東で満州や朝鮮半島への進出を目指していたのですが、日清戦争で清に勝った日本が朝鮮を支配したことや、イギリスの勢力が朝鮮進出の壁になりました。その後日本とイギリスは手を組み、ロシアと戦っていくのでした(日露戦争)。

風刺画から歴史を知ろう!

いかがでしたか。
風刺画1枚でも、何百年という歴史の繋がりを見ていくことができるのです。
歴史は知識が多ければ多いほど楽しめるものなのでぜひ深堀りしていってくださいね!

なる

この記事を書いた人

なる

群馬県出身の「なる」です。 主に、エンタメ・ビューティ・スポーツの記事を書いています。 洋画とバスケが大好きです。 日常に役立つ記事をお届けします!

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