今回は風刺画「死の舞踏」を基に歴史を見ていきたいと思います。
14世紀の世界はどんなものであったのかも一緒に紹介しているので是非ご覧ください!
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風刺画「死の舞踏」が表す意味とは?
絵の解説
この絵は、14世紀に突如として現れ、人々を苦しめたペスト(黒死病)を風刺しています。死神に連れ去られる民衆、騎士、教皇、、どんな身分でも構わず襲い掛かるペストにもはや人間は太刀打ちできなくなっている様子が描かれています。全世界人口の3分の1がペストに感染し、亡くなったと言われています。
そしてこの時代、ペストに関して「死の舞踏」や「死の勝利」というタイトルの絵や版画がたくさん描かれています。なぜこんなにもたくさんの「死」が描かれたのでしょうか。それは民衆の恐怖の矛先が死に向かっていたためにこのような絵が広く受け入れられ、多くの買い手が出てきたからではないかと思われます。買う人がいなかったら画家も描きませんよね。言ってしまえば、死の舞踏が多く残されている理由はペストの流行に乗じてお金儲けをした画家が多くいるということなのでは、ということです。
ペストっていったい何!?
ペスト流行の原因
ペスト菌を原因として菌を保有する齧歯(げっし)類、主にネズミからノミを介して感染します。また、感染したヒトや動物の排泄物から傷口や粘膜を介して感染することや、飛沫によって感染することもあります。それで世界の人口の3分の1が亡くなるのですから恐ろしい菌ですよね。それが再来したと言われたのが、2020年あたりから流行したコロナウイルスです。今回はワクチンの開発によって未然に防ぐこともできましたが、ペストは正確なワクチンがなく、なすすべなしで当時は次から次へと感染してしまいました。
ペストに感染すると皮膚に黒い斑点が現れ、短ければ1日、長くても数日の間に死に至ることから黒死病とも言われます。
同じ空気を吸ったり、触ったりするだけで感染すると考えた人が多く、家族すら看病を放棄する者がたくさんいる中で、治そうとした医師や、最期を看取ろうとした聖職者たちはどんどんとペストに飲み込まれていったそうです。
14世紀の各国の情勢は?
ペストに苦しめられたヨーロッパ
ヨーロッパでは15世紀、16世紀へと繋がるルネサンスがイタリアを起点に14世紀に始まり、「レバント(東方)貿易」や毛織物産業の発展、金融業の整備など、イタリアは特に経済的に最も発展していました。
14世紀の特に大きなことは、フィリップ4世による三部会(1302年)やアナーニ事件(1303年)、教皇のバビロン捕囚(1309年)、ヴァロワ朝の開始(1328年)、百年戦争(1337年‐1453年)など西洋史好きが燃える話題がたくさん詰まった世紀でした。
新しい時代を迎えた東アジア
14世紀のアジアは新しい王朝がいくつか登場した世紀でした。
中国では元朝末の混乱から朱元璋が明朝を成立させました。16世紀の北慮南倭(北からのモンゴル、南からの倭寇)に悩まされ、政府が力を消耗していくまでの長期間に渡って存続した王朝でした。
西アジアでは14世紀後半に、チャガタイ・ハン国の混乱に乗じたティムールがティムール朝を開きました。西のイルハン国や北インド、小アジアに侵入、大帝国を築きあげました。
風刺画から歴史を知ろう!
いかがでしたか?
今回は14世紀の危機を巻き起こしたぺストから、14世紀の世界をざっくり見ていきました。
これだけでもテスト頻出のワードがたくさん出てきているので、ぜひマスターしてくださいね!