引用元:プレジデントオンライン
2021年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公に取り上げられ、2024年からの新しい一万円札の肖像画にも選ばれ、話題沸騰中の渋沢栄一。
今回は「実業家の父」として知られている渋沢栄一の名言をご紹介します!
目次[ 表示 ]
渋沢栄一ってどんな人?
渋沢栄一について
- 名前
- 渋沢栄一
- 生年月日
- 1840年3月16日
- 死没年月日
- 1931年11月11日
- 出身地
- 埼玉県深谷市
- 没地
- ー
- 職業
- 実業家
渋沢栄一は何をした人?
引用元:プレジデントオンライン
渋沢栄一は、「現代の日本の経済制度を確立した人」です。
日本初の銀行・証券取引所の創設だけでなく、500以上の事業設立に携わった渋沢の貢献度は図り知れません。
裕福な農家に生まれ、尊王攘夷の運動家として青年期を過ごし、江戸幕府の幕臣、明治政府の官僚、財界を牽引する実業家と、多様に立場を変えてキャリアを歩みます。
幕臣時代、パリ万国博覧会へ使節団の一員としてフランスを訪ねます。
そこで目の当たりにした当時の日本と比べ物にならない先進的な科学技術は彼に強烈なインパクトを残しました。
この時の経験がその後の彼の偉業につながります。
フランスから帰国後、明治政府へと体制が新たになった日本で大蔵省に入省し、官僚としてのキャリアをスタートします。
退官後は民間の実業家として活動した渋沢。フランス留学で得た経営の基盤と知識をもとに、銀行設立だけでなく、ガスや電気、交通、飲料メーカーなど様々な事業の設立に貢献しています。
こうして業界を問わず数多くの日本初の事業を軌道に乗せた渋沢は、その生涯で500以上の会社を設立し、日本の産業に大きな変革をもたらしました。
渋沢栄一が関わった出来事一覧
渋沢栄一の有名な名言5選!
名言①:成敗は身に残る糟粕
成功や失敗のごときは、ただ丹精した人の身に残る糟粕
成功や失敗はただの残りかすに過ぎず、努力した過程が大切だ
名言を解説
渋沢の著書「論語と算盤」の第10章の最後を締めくくる一文に記されています。
成功や失敗といった結果に一喜一憂するのではなく、努力し続けることを重視しています。
そして、誠実に積み上げた努力によっていつか必ず道は拓けるという意味が込められています。
-
お金とか成功とかではなく、どういう人生を生きたいかを考えるべきだという強いメッセージが伝わります!
名言②:もうこれで満足だという時は、すなわち衰える時である。
名言を解説
渋沢栄一訓言集の第1編・国家と社会に記されています。
現状に満足した時点でそれは退化を意味するという力強い言葉です。
どれだけ目標を偉業を達成しても満足せず、人々や国の発展のために何かできないかと模索し続けた渋沢だからこそ、日本経済の成長を推し進めることができたのでしょう。
-
幼い頃から勉強熱心で、その頃からあくなき探求心を育んでいたんですね!
名言③:百まで待て
名言を解説
40代、50代はまだまだ未熟であるから、もっと勉強せよ。
60代、70代になってもまだまだ働き盛りであり、90歳になるまで尽力しなさい。
たとえそこで死に瀕しても100歳までは頑張る気持ちを忘れるなという意味が込められています。
生涯を通じて活動し続けた渋沢のパワフルなメッセージです。
-
いくつになっても勤勉な姿勢はとても素敵ですね!渋沢のように生涯をかけて夢を実現すべく奔走したいものです。
名言④:無欲は怠慢の墓
名言を解説
渋沢栄一訓言集第10編「一言集」に記されています。
夢を持つことは人が何かをするときの原動力であり、成長するために不可欠だと説いています。
-
ここでの欲とは、「世の中をもっと良いものにしたい」という、より良い社会の実現に対する欲です。
実業家として正しい欲を持つことが必要だと説いています。
名言⑤:学問は経験、経験は学問
名言を解説
渋沢栄一訓言集の第4編「学問と教育」に記されています。
目標や夢を実現するためには勉強だけでは不十分で、経験によって得られる理解が不可欠だと説いています。
フランス留学をきっかけに「経験こそ学問の母」と痛感した渋沢は、その後も生涯を通じて勉強と経験による学びを並行し、国の発展に貢献しました。
-
学歴文化が浸透している世の中に刺さる言葉です。
現代の日本において活躍している実業家や経営者が必ずしも大学を出ている訳ではありません。
独自の経験による知見が大きな基盤になっています。
渋沢栄一の名言から元気をもらおう!
渋沢栄一の名言はいかがでしたか?
とても一生涯だけで達成したとは思えない偉業の数々を成し遂げた渋沢ですが、その源泉は世の中をよりよくしたいという強い思いとそれを実現させる行動力にあると思います。
夢に向かって自分を変えたいと思ったときに渋沢の名言を思い出してみてください!