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「性善説」の基本的な考え方と4つの柱|ビジネスにおける使われ方も解説

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2023/03/05

「性善説に基づくと」という使われ方をしているこの言葉は、どのような意味を持ち、誰が提唱したのでしょうか?

本記事では、性善説の提唱者や考え方、性悪説と性弱説との違いについて解説します。ビジネスシーンでも使われるため、ぜひ参考にしてみてください。

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「性善説」とは?

性善説を簡単に表現すると「人は本来、善である」という意味です。「性=人の本質」「善=道徳的な面で見て正しいこと」を現した2つの漢字を組み合わせています。

後に紹介する考え方と、4つの柱に基づいているのが性善説です。本記事では基本的な考え方と、柱とされる4つの心それぞれの意味について解説していきます。

「性善説」の基本的な考え方

まずは性善説の基本的な考え方について解説します。「人は本来、善である」ということは前述していますが、さらに詳しく解説すると次に記述する2つの意味が込められています。

基本的な考え方を知ると、正しい解釈と誤った解釈の違いも理解しやすくなるでしょう。

人の本性は基本的に善である

人の本性は基本的に善であるという考え方が、性善説の基本の1つとしてあげられます。天から与えられ、人は生まれもって善の心があるという意味です。

しかし、この意味から人は本来、善であるため安心という考え方は誤った解釈となります。提唱者である孟子は、後に紹介する四端の心を育てることで本来持っている善の心が育ち、立派な人間になると唱えています。

備わった善は努力によって開花する

2つ目にあげられる考え方は、備わった善は努力によって開花するということです。生まれもって天から与えられた善の心があるため、人は努力をすることで立派になれるという解釈になります。

この解釈に基づくと、努力を怠ってしまうと悪にもなるという考え方にもなります。

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性善説の4つの柱

前述した基本的な考え方と共に、性善説の根本を作っているのが4つの柱となる四端の心です。四端で使われている「端」とは兆しを意味し、羞悪・是非・惻穏・辞譲の道徳感情に沿って努力することで、仁・義・礼・智の徳に繋がると言われています。

孟子は人間に4つの手足があることと同じように、心にも4つ柱(四端の心)があるとしています。この四端の心を育てることで、徳に繋がるというのが性善説です。

1:羞悪

道徳感情にあたる「義」が、羞悪です。「しゅうお」と読み、自身が行った悪い言動や短所を恥じる心のことを指します。自身のことだけではなく、他人の悪い言動を憎むという意味も込められています。

「羞」は恥じる、恥ずかしいという意味を持つため、この漢字2文字で悪を恥じるということがわかります。

2:是非

道徳感情にあたる「智」が、是非です。「ぜひ」と読み「是=正しいこと」と「非=正しくないこと」を意味した漢字を組み合わせて作られています。良し悪しを判断できる心を指します。

漢字の持つ意味のとおり、ひとつの物事について正しいかどうかを議論したり考えたりすることを意味しています。

性善説の柱となっている是非は、強い思いを込めて文章に使用する「ぜひ」とは違った意味です。

3:惻隠

道徳感情にあたる「仁」が、惻穏です。「そくいん」と読み、相手に対して自然と湧き上がるかわいそうだと思う心を指します。

例えば不幸に見舞われている人を見て、世間体を気にするからではなく素直に湧き上がるかわいそうだと思う心や、放っておけないという心も惻穏を意味する感情です。

4:辞譲

道徳感情にあたる「礼」が、辞譲です。「じじょう」と読み、お互いに譲り合える心を指します。へりくだったり、謙遜したりすることで他人や相手に譲ることを意味します。

以上のとおり、性善説は「悪を恥じる心=羞悪」「善悪を判断する心=是非」「人を憐れむ心=惻穏」「譲り合う心=辞譲」に基づいた四端の心を大切にしていることがわかります。

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「性善説」を唱えた人はどのような人物?

性善説を提唱したのは、中国の戦国時代に実在した哲学者・孟子です。孔子に次ぐ儒教の伝承者とも言われている孟子は、戦国時代に性善説を唱え回りました。

当時、孟子の考えは理想主義とされ受け入れられませんでしたが、時代の移り変わりとともに評価されるようになります。孟子の行いや説は「孟子」という書物にもまとめられています。

「性善説」と「性悪説」はどう違う?

人は生まれもって善とする性善説に対し、生まれもって悪であると唱えているのが性悪説です。性悪説では人が善だと思うのは人為的であり、努力をしないと自己中心的となり、周りに悪い影響を与えるという解釈になります。

人の本性は善か悪かの違いはありますが、努力することで立派になるという考え方は同じです。性悪説を提唱したのは中国の思想家・荀子(じゅんし)と言われています。孟子の後輩で、当時儒教においては異端児と言われていました。

「性善説」と似ている「性弱説」とは?

性善説、性悪説と共に唱えられているのが性弱説です。善悪で判断するのではなく、人は弱いものとするのが性弱説の解釈となります。どちらかというと、性善説と似ている考えです。

人は悪さをするつもりはないが、ふとした拍子に悪事を働いてしまうというのが性弱説の解釈です。努力を怠ると悪に染まってしまうというのが性善説ですが、ときに悩んだりためらったりした上で魔がさしてしまい悪事を働くというのが性弱説となります。

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「性善説」の誤った解釈

孟子が提唱した性善説は、誤った解釈をされることがあります。人は生まれ持って善の心を持っているため信頼して接したり、楽観的に対応したりするのは性善説の誤った解釈です。

あくまでも立派になる素質を人は持っているため、努力を怠ってはいけないと唱えているのが孟子の性善説となります。誤った解釈とは言わないまでも、ビジネスシーンにおいては別の意味で性善説が使われることがあります。

ビジネスにおける「性善説」の意味

ビジネスシーンにおいて使われている性善説と、孟子が提唱している性善説は意味が違います。性善説は人として立派な心をもつために唱えられている説ですが、相手によっては捉え方が変わることもあるため気をつけましょう。

相手が善人である前提でものごとを進めたり接したりするときや、企業統治の見直しをするときに性善説が使われます。ビジネスにおける性善説の意味を、2つのポイントから解説します。

  • 相手が善人であるという前提で接する
  • 企業統治の見直しにも使われる考え方

相手が善人であるという前提で接する

ビジネスシーンにおいての性善説は、相手を善人として信頼し接するという意味で使われます。逆に性悪説は相手を悪人として接するということです。どちらの説も用いられますが、ビジネスで使われるのは性善説が多いでしょう。

「性善説に基づき教育する」「性善説に基づいて契約する」などはビジネスにおいて、相手を信頼し接するという意味です。相手の能力を信用したり、相手は不正をしないと信じたりすることになります。

企業統治の見直しにも使われる考え方

企業統治の見直しにも性善説が用いられています。企業規則や不正防止対策を作るうえで、これまでは性悪説に基づいたものが多くありました。しかし調和を基本とする日本企業にそぐわないため、性善説に基づいた企業統治に移行しつつあります

グローバル社会となりつつあるなか、海外の人と接する際は性善説が伝わらないことも出てくるでしょう。意味を伝えるときには、性善説と性悪説を対比して説明することがあります。

「性善説」の意味を正しく理解しよう

孟子が提唱している性善説は「善の心を本来人は持っているため、努力をすることで立派になれる」という解釈です。その解釈に基づくと、努力を怠ると悪い方向へ向かってしまうという捉え方にもなります。

しかしビジネスで使われる性善説は「人は善の心を持っているため信頼できる」という間違った解釈で使われることが多いです。ビジネスでは誤った解釈が一般的になっていますが、本来の意味を正しく理解し使用しましょう

この記事を書いた人

Bee

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