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風刺画とは
中学校や高校から戦争などの歴史を学んでいくにあたって、その当時の様子がどのようなものであったか分かりやすく示すために「風刺画」を提示することがあります。風刺画は当時の人々からの視線でその国や人を描き、批判しているものです。人間社会に満ち溢れている不合理や矛盾に反発する気持ちを絵にして表現したものが風刺画であります。人間性そのものを風刺するものから、仲間や周囲の社会を風刺するもの、さらには一国の最高権力者を風刺するものまで、幅が広いです。
日本に17年間滞在した風刺画家ジョルジュ・ビゴーとは
風刺画は作者不明なものが多い中で、日本で圧倒的な存在を残す「ジョルジュ・ビゴー」という画家がどんな人であったかについてご紹介します。
ビゴーはフランスの画家で、ジャポニズムに興味を抱いたことによって日本への滞在を決めました。中江兆民の塾でフランス語教えていた経歴もありますが、なんといっても風刺漫画雑誌「トバエ」の刊行が最も大きな業ではないかと考えます。このトバエの中で彼は、彼が見た日本の情勢を描き、発信していました。中高生の時に教科書で見ていたあの風刺画はこの人が描いていたものだったのか!という発見もいくつもありました。彼は日本に17年もの間滞在しており、彼の写真で最も有名であるのが侍の恰好をしたビゴーであるために日本文化に大きな影響を受けていたと言えるでしょう。
教科書にも出てくる「風刺画」の意味を解説!
1.重税に苦しむ第3身分
作者:不明
絵の解説
18世紀後期、「フランス革命」前に描かれた風刺画です。
参考画像のAは聖職者(この当時一番身分が高い人たち)、Bは貴族(二番目に身分が高い人たち)、Cは、庶民(一番身分の低い人たち)を描いており、税金の負担が庶民にのしかかっている社会情勢を風刺したものです。
ただ、これだけを見ても面白味はなく、他にも絵の中にはメッセージが隠されています。
まず、庶民の足元に小さく描かれている「洋ナシ」ですが、フランスには「お人よし」「騙されやすい」という意味があります。「聖職者は祈りで、貴族は剣で、平民は金銭をもって国王を守る」という言葉に庶民のあなたたちは騙されているということを暗示させているためのビラだったのです。次に絵の後方に小さく描かれている羊飼いですが、ヨーロッパ諸国では羊飼いの生活は牧歌的で理想的とされてきました。当時の過酷な社会状況と対比するために後方に描かれたのではないかと推測されています。
2.死の舞踏
絵の解説
14世紀に突如として現れ、人々を苦しめたペスト(黒死病)を風刺しています。死神に連れ去られる民衆、騎士、教皇、、どんな身分でも構わず襲い掛かるペストにもはや人間は太刀打ちできなくなっている様子が描かれています。全世界人口の3分の1がペストに感染し、亡くなったと言われています。
この時代、ペストに関して「死の舞踏」というタイトルの絵や版画がたくさん残されています。なぜこんなにもたくさんの「死の舞踏」が描かれたのでしょうか。それは民衆の恐怖の矛先が死に向かっていたためにこのような絵が広く受け入れられ、多く買われたからではないかと思います。買う人がいなかったら画家も描きませんよね。言ってしまえば、死の舞踏が多く残されている理由はペストの流行に乗ってお金儲けをした画家が多くいるということなのでは、ということです。
3.ノルマントン号事件
作者:ジョルジュ・ビゴー
絵の解説
この絵は日本の領事裁判権の獲得の発端になった事件の風刺画です。1886(明治19)年にイギリスの貨物船ノルマントン号が紀州沖で難破して,翌日沈没してしまいました。外国人船員はボートで脱出しましたが,日本人乗客23人(25人とも)は全員水死してしまいました。その後、神戸領事裁判所でイギリスの判事によって行われた裁判でこの船の船長は無罪となり、「日本の領事内で起きたことなのに、なぜイギリス人が裁判をするのか!」「船長は日本人を差別し、見捨てた。なぜ無罪なのだ!」と日本は大反発。そして日米修好通商条約で関税自主権と共に領事裁判権が認められたのでした。
4.魚釣り遊び
作者:ジョルジュ・ビゴー
絵の解説
この絵は一見ただの静かな魚釣りの絵に見えますが、日清戦争(1894(明治27)から1895(明治28年))の直前の風刺画です。左のちょんまげが日本、右の帽子が清国で2国が魚で表されている朝鮮の釣ろうと争っているのです。奥でジーっと見つめているのがロシアです。ロシアは南下政策で朝鮮への侵略も狙っていたため、どちらが朝鮮を取るのか、そして朝鮮を取ったほうにはもれなくロシアとの戦争が待ち受けていたのです。それが日露戦争というわけです。
5.中国分割
作者:アンリ・マイヤー
絵の解説
この絵は列強による中国の分割を描いています。左からイギリス、ドイツ、ロシア、フランス、日本です。その後ろで焦っている中国。当時の列強の動きは、イギリスはスエズ運河株買収、ヴィクトリア女王がインド皇帝に就任、ロシアと対立しつつ東へ、フランスと対立しつつアフリカ分割を進めていました。フランスは清仏戦争で仏領インドシナ連邦を形成、ドイツはヴィルヘルム2世は積極的な世界政策を行うなど、列強各国は世界侵略へと視野を広げていました。そこで日本に負けた中国はこの各列強に分割され、租借、占領、割譲が開始されるのでした。各国の特徴を非常に上手くとらえた風刺画で、どの教科書にも確実に載っているのでないかと思います。
6.日露戦争
作者:ジョルジュ・ビゴー
絵の解説
こちらの風刺画はロシアに刀を突きつける日本と、その背中を押すイギリス、そして高みの見物をするかのようなアメリカが描かれています。いつでも日本はこの立場なのかと、、、ただイギリス、アメリカと仲良くしておきたかった日本はこの大国たちの言うことを聞き、日露戦争へ。しかしアメリカの仲介によって締結されたポーツマス条約には日本への賠償金はなく、日本は大損をしてしまいました。
7.セシル・ローズ
作者:不明
絵の解説
こちらの風刺画は19世紀のイギリスのケープ植民地首相セシル・ローズが行ったアフリカ縦断政策を風刺した絵です。彼は3C政策という、エジプトのカイロ、南アフリカのケープタウン、インドのカルカッタを結ぶ政策を展開しようとしていました。しかしドイツが行っていた3B政策というベルリン・ビザンティウム(イスタンブル)・バグダードという3つの都市を結ぶ政策で西アジア方面へ進出しようとする動きで衝突していました。そんな中でセシル・ローズは「地球の表面を1インチといえども取らなければならない」といった言葉を残すほど植民地政策に対して貪欲に行っていました。この風刺画が意味するところは、ローズの左足がカイロ、右足がケープタウンにかかっており、3C政策をそのまま表しています。ライフルを背に電信柱を敷設するのには、力で国々を抑え込むという意味が込められているのではないかと推測します。
こちらの風刺画がラピュタの参考になっているのではないかという声もあって、タッチが似ているとかなんとか、、、確かにラピュタの舞台は19世紀後半の革命期であるために時期は一致しています。皆さんも確かめてみてください。
風刺画に親しもう
いかがでしたでしょうか。
知っている、見たことがあるという風刺画が多かったのではないかと思います。
そして今回紹介した風刺画やその作者に関するおすすめの本も一緒に紹介させていただきますので気になった方は是非お読みください!